いちご、300年の旅 — チリの数株から日本の温室へ

意外に思うかもしれないが、いちごは人類が育てる作物のなかでも、もっとも歴史の浅い部類に入る。小麦の栽培は一万年、りんごでも数千年をさかのぼる。ところが、現代の栽培いちご、すなわち Fragaria × ananassa(オランダイチゴ)が生まれてから、まだ300年も経っていない。しかも、誕生した年代まではっきりわかっている。
主要な果物のなかで、家系図がこれほど克明に残っているものは珍しい。チリの野生種と北米の野生種がフランスの庭で出会い、いま店先に並ぶ品種が生まれるまで。その物語をたどってみたい。
チリから運ばれてきた苗
1714年、フランスの軍事技術者アメデ=フランソワ・フレジエが、南米の太平洋岸での測量任務を終えて帰国した。その積み荷のなかに、現在のチリ・コンセプシオン付近で集めたいちごの苗が数株あった。先住民マプチェが何世紀にもわたって育ててきた Fragaria chiloensis(チリイチゴ)である。数ヶ月におよぶ大西洋横断を生き延びたのは、わずか5株ほどだった。
ところが、この5株には問題があった。チリイチゴは大きな実をつけるものの、フレジエが持ち帰った株はほとんどが雌株で、花は咲いても単独ではめったに実を結ばない。こうして数十年のあいだ、フランスやイギリスの庭で珍品として眠ったままになる。
答えは、すぐ近くで育っていた。もう一つの野生種、北米東部の森に育つ Fragaria virginiana(バージニアイチゴ)が、ひと足先にヨーロッパへ渡っていたのだ。実は小ぶりだが香りが高く、受粉のパートナーとして頼りになる。この二種を隣り合わせに植えてみると、自然に交雑した。生まれた子は、チリ親ゆずりの実の大きさと、北米親ゆずりの香りや実つきのよさを、あわせ持っていた。
この二種はどちらも 八倍体 で、染色体を8組もつ(2n = 8x = 56)。植物としては珍しい性質で、雑種が旺盛に育った理由の一つでもある。交雑が起きたのは1750年代ごろのヨーロッパ。その揺りかごとしては、フランスのブルターニュ地方がよく挙げられる。そして1766年、フランスの植物学者アントワーヌ・ニコラ・デュシェーヌが著書『Histoire naturelle des fraisiers(いちご博物誌)』にこの新しい雑種を記録し、いま Fragaria × ananassa と呼ばれる植物を正式に記載した。種小名の ananassa は「パイナップルのような」という意味で、その香りにちなんでいる。
カリフォルニアからマハーラーシュトラ、そして栃木まで。今日栽培されているいちごは、すべてこの偶然のフランス交雑にさかのぼる。新大陸の植物を旧大陸で組み上げ、そしてのちに見るように、その仕上げの一部は日本でおこなわれた。
野生種から、品種へ
「種(しゅ)」のままでは、売り物のいちごにはならない。私たちが実際に買うのは 品種(cultivar)、つまり株ごとに性質がそろうよう選び抜かれ、増やされた特定の系統だ。現代のいちご市場は、三つの育種の流れによって形づくられてきた。
カリフォルニア:働き者たち
世界のいちごにもっとも大きな影響を与えた機関は、おそらく カリフォルニア大学デービス校(UC Davis) だろう。ここの育種プログラムは、世界中のスーパーの棚を埋める品種を次々と生み出した。
- チャンドラー(Chandler、1983年発表):一時代の生鮮市場いちごの基準をつくった品種。
- カマローサ(Camarosa、1992年発表。米国植物特許PP8708は1994年付与):ヴィクター・ヴォス、ダグラス・ショー、ロイス・ブリングハーストが1988年の交配から育成した。収量・実の硬さ・輸送への強さに優れ、世界でもっとも広く栽培されるいちごの一つになった。
- アルビオン(Albion、2004年発表):日長に左右されず実をつける 日中性(day-neutral) 品種で、収穫期を大きく延ばした。
どれも技術の結晶といえる品種だ。たくさん穫れ、遠くまで運べ、扱いにも耐えるように育てられている。ただ、これらが第一に追い求めたのは、香りではなかった。
フロリダ:早く、甘く
フロリダ大学 のプログラムは、別の気候と別の収穫カレンダーに合わせて品種を磨いた。
- スイートチャーリー(Sweet Charlie、1992年発表):酸が少なく、糖度の数値以上に「甘い」と感じさせる品種。実が柔らかいため大規模な商業栽培からは退いたが、いまも摘み取り農園(U-pick)の定番として親しまれている。
- ウィンターダーン(Winter Dawn、2005年発表):とびきりの早生で知られる一方、風味は控えめで、季節が進むにつれて実が小さくなっていく。
インドでいちごを口にしたことがあるなら、それはほぼ間違いなく、この三つの系統、すなわちスイートチャーリー、ウィンターダーン、カマローサのいずれかだ。2000年以降、気候によく合い、安定して穫れることからインド各地に広まった。優秀な働き者である。ただ、デザートの皿のために育てられた品種ではなかった。
日本:トラックではなく、皿のために
日本は、同じ新大陸生まれの雑種に、まったく違う問いを投げかけた。カリフォルニアが輸送と収量を最適化したのに対し、日本の育種が磨いたのは「食べたときのおいしさ」だった。糖と酸のバランス、香り、ナイフですっと切れる果肉の硬さ、そして実がムラなく色づくこと。
そのためには、別の栽培のしくみが必要だった。日本のいちご畑の9割から9割5分以上が 促成栽培(forcing culture) で、ポリエチレンのトンネルの下で育て、本来の季節を大きく外れた晩秋から初夏にかけて実らせる。これを可能にした技術が確立されたのは 1960年代後半 のこと。苗を窒素の少ない状態に置き、人が入れるトンネルのなかで長日条件で育て、休眠に入る前にジベレリンを与えて花芽のつくりを夏の終わりへと早める。いくつもの工夫を組み合わせた手法だ。
その成果が、日本のいちごを代表する顔ぶれである。とちおとめ、さがほのか、あまおう、紅ほっぺ。いずれも産地ごとに、何よりまず味を基準に育てられてきた。東京のデパ地下で、売り場に着く10メートルも手前から香ってくるのが、この果実だ。
最新章:種子から育てるいちご
300年の歴史を通じて、栽培いちごはずっと同じ方法で増やされてきた。母株から伸びるランナー(匍匐茎)を使う、栄養繁殖である。手間と時間がかかるうえ、病気を広げる経路にもなりやすい。
2021年3月、東京の育種企業 株式会社ミヨシ が、新しい取り組みを発表した。民間として世界で初めての F1種子繁殖 による日本のいちご、Berry Pop シリーズである。ランナーをクローン増殖させる代わりに、種子をまいて育てる。日本の条件では育苗にかかる期間が約6ヶ月から約3ヶ月へと縮まり、母株を育てる手間と、それにともなう病気のリスクもなくなる。
第一世代は、二つの品種からなる。
- Berry Pop SAKURA(品種コード 19FAG-1):短日型で、中玉をたくさん実らせる。糖度が高く酸味は穏やかで、後味は爽やか。ミヨシ自社の仕様では、平均糖度 12.4 Brix。
- Berry Pop HARUHI(品種コード 19FAG-2):短日型で、大きめの円錐形の実が安定してつく。育成元の評価で 12.6 Brix。
(ここで挙げた糖度はミヨシ自社の比較試験にもとづく公表値であり、実際の数値は栽培の条件や季節、収穫時の熟し具合によって変わる。)
ICHIGOが立つ場所
ICHIGOは、この系譜の延長線上にある。日本から完成した実を空輸するのではなく、ミヨシのBerry Pop F1品種である SAKURAとHARUHI を、日本の農学指導のもとで、インド・マハーラーシュトラ州の畑で育てている。
その考え方は、ここまでたどった歴史からそのまま導かれる。日本のいちごを「食べる価値のあるもの」にしている遺伝的な性質は種子のなかにあり、持ち運ぶことができる。逆に運びにくいのは完成した実のほうで、収穫から数時間のうちに糖も香りも硬さも失われていく。だとすれば、実そのものを輸入するのは正解ではない。品種と栽培の規律を持ち込み、それを使う厨房のすぐ近くで育てる。それが理にかなったやり方だ。
300年前、いちごを地球の反対側へ運ぶには、数ヶ月の航海と、生き延びた5株の苗が必要だった。いまでは、ひと袋の種子と一枚の育種ライセンスがあれば足りる。そしてその旅の終着点は、フランスの庭ではなく、インドの畑なのだ。
ICHIGOは株式会社M2labo(エムスクエア・ラボ)のインド登録商標です。インドではM2labo Bharatがミヨシ社のBerry Pop F1品種(SAKURA・HARUHI)のライセンスのもと栽培しています。本記事の歴史的・植物学的な事実は、査読付き文献(American Journal of Botany/The Plant Cell/International Journal of Fruit Science)、米国植物特許の記録、および育成元の公表仕様にもとづいています。
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